一枚の写真 兼六園

ジャパニーズの風刺画は、今や当たり前の景色

マイケル ジャクソンが見ていたジャパニーズ?

ジェンダーが叫ばれる今、地球は小さくなって来ているように思うけど、やはり国民性というものはあるよね。旅先での嫌な出来事は無知が大きな原因であることも多い。文化や風習、価値観などを理解は出来なくても「知ること」「認めること」は、旅をする準備に必要不可欠なことだと思う。

 

いいことではないけれど、外国からやってくる人々の行動に奇異な視線が注がれることはあり得る。

今ならこんな表現は大問題になりそうだけど、1987年、世界中で大ヒットしたマイケルジャクソンの「Bad」。このアルバムの中のスピードデーモン。このPVに出てくる日本人はまさに、世界に定着してしまった「ジャパニーズ」のイメージだった。

「メガネ、背広、出っ歯、カメラ」まあ、スタイルはともかく、なんでもカメラやビデオでパシャパシャ撮りまくる。どこでも並んでVサインして記念写真を撮りまくる。画像ばっかりのために動き回って何が楽しいのだろう。旅は実際に見て触って感じるものなのに。記録ばかり収集する変なアジア人、ジャパニーズだった・・・はずなのに。

いまや、世界中がパパラッチ?

SNSが台頭してから、カメラはスマホに変わったけれど、世界中の人々が、あの頃のジャパニーズ化している。

 

映えモノを探して、どこでも入り込むし、いい画像を得るのが目的になっている。それもそれで悪くない。それでも出かけて行って、感動して、それを残すことも悪くない、どころか、かなりテンション上がってわくわくする。

でも、同じような画像を、自分も自分もと夢中になったら、自分がわざわざそこに行く価値が薄まってしまいそう。それこそコラージュの世界でもいい気がしてしまう。

だからね、そこで、そう、はっと我に返る。その我がそこに在る、ってことが旅の大事なこと。SNSの中の見えない人々の一人ではない。

紛れもない生きている私、よく知っている私がここにいる。その価値が大事なんだ。

音や匂いが人の感性を磨く

個人的な感想に過ぎないけれど、日本の紅葉は世界一きれいだと思っている。
単純に雑木林が多いのかもしれないけれど、日本庭園も西洋の美学とは違う。数学が異なっていると思う。それは、四季がはっきりしているからなのか、農耕民族だからなのかは分からないけれど、四季折々、そして秋にこんなに色とりどりになる景色を配置できる美意識は日本人の細胞に組み込まれているに違いないと確信するよ。
秋の兼六園
秋の兼六園
金沢兼六園の写真と言えば、霞が池周辺や、雪吊りの木々の姿などがおなじみなのですが、その日、ここの一角の景色は格別の美しさでしたよ。
この自然の美しさを錦織の絨毯と呼びます。木漏れ日の陰影と赤や黄、緑のコントラストは、やはり実際に見るのが一番だと痛感します。
冬が近づく季節の一コマですが、時々は風が冷たかったり、逆に日差しの温かさを感じたり。それだけで印象もずいぶん違うものです。

 

重なり合った葉っぱたちを踏みしめると、サクサクと音がするときも、湿って葉が鳴らないことも。。。
その日だからのシチュエーションで、感じる美しさも様々なのが、旅の印象や運と言うものです。
出かけて行きましょう。そこには自分だけが体感するその日の感動があります。
この日は、格別の晴れ。雨の多い北陸でのピーカンはとても貴重な気がする。11月の半ばを過ぎてコートなしで汗ばむくらいのお日様の下で散歩はウキウキします。ちらちらとそよ風に光が動くと、葉っぱの絨毯の陰影もその模様を変えて、ずっと見ていても飽きません。
哲学ではないですけど、この五感で生きている実感は旅先では特に強く湧き上がります。たかが、公園歩きなんですけどね。これが日課の散歩であっても、通学であっても同じでしょうが、旅というと、やはり非日常の景色と気が付かない緊張感が身体に仕舞ってあるから、どこにでもある紅葉であっても、とても敏感になっているんですよね。
そして、このゆったり感が大事なんです。このエリアには、ツアー客はいません。時間に追われる人もいません。ぶらぶらと歩いてきた人が、「わぁ」って感動の声を上げて立ち止まるのです。思わず声が出てしまうくらいの「きれい」ってそんなに出会うこともないでしょ。
この画像なんてその「きれい」の百分の一くらいしか表現できていません。
だいたい兼六園を訪れる観光客は、30分くらいの滞在時間が平均だそうです。そうするとこのエリアはスルーされてしまうのかもしれません。
逆を言えば、チャンスですよね。混雑していない方が景色としてはさらに美しいものではあるのですから。
ん~、雨なら雨の美しさもあるのでしょう。その瞬間の美しさもやはり旅の運のようなものかもしれません。
ちなみにここは兼六園内の山崎山と呼ばれるエリアです。

ちょっと残念なインスタ映えスポット

古都、金沢と言えば武家屋敷や、近江町市場、ひがし茶屋街など見どころは豊富にあります。

 

歴史のある人気スポットでは、和服を着て歩くが若者たちの定番になっているようでした。かなり前からアジアの女子の間では根強い人気だったようですが、今は、まだインバウンドの本格的な復活には至っていないので、スマホ片手に歩いているのは、日本人の若いカップルや女の子のグループが殆どです。

特に男女のカップルの和服姿は、凛とした雰囲気があって、見ていても景色に溶け込んでとってもおしゃれでかっこいい。

そして、興味深いのは、着物の着付け方。古都、金沢にあって、おっ!と思わせるセンスに溢れている。

まさに令和の和服という感じですかね。

 

半襟や重ね襟も様々で、着物の裾がとっても凝っている。背の高い現代人に合わせてなのか、丈を短く着付けているけど、おはしょりはちゃんと取ってある。襦袢が見えるかと思えば、そこはレースプリーツなど、様々な素材を使った重ね着風になっていて、フェミニンでかわいい。

真っ白な足袋に草履より目を引くのが、白いブーツなど、靴なんである。

ん、数十年前に大正ロマンがブームになったとき、袴に編み上げのブーツが流行ったことがあったのを思い出した。

が、袴ではない、とすれば、そりゃ、足袋に草履でしょう、と思いはしたが、今どきの若者の歩き方は、それには目を覆うものがあり、ブーツの方が所作はきれいに見える。これも時代というものかもしれませんね。

 

金沢 ひがし茶屋町の風景。観光客はおしゃれな着物でそぞろ歩きがトレンド。映え狙いです!
金沢 ひがし茶屋町の風景。観光客はおしゃれな着物でそぞろ歩きがトレンド。映え狙いです!

このエリアでは、だれもがスマホ片手に映え写真を撮っている。そして町は、生活感のある場所からなんだか映画のセットの様相を呈してきた。

ひがし茶屋街は、まさにいい意味でも悪い意味でもおしゃれな観光地となっていた。昔を知っている人にとっては、生活感のあふれる風情のある古い町だったのに、となるだろう。

なるほど、飛騨高山の町も似たような変化を感じたな。

果たして、昔話をしてノスタルジーを語っても意味はないと思うが、人々があこがれる町の雰囲気は、まさに文化や歴史や、そこに住む人々の暮らしが作り出すものだと思う。テーマパークや、セットのようになってしまうのとはちょっと違う気もする。

 

 

つくづく観光地としての町つくりの難しさを感じるな。。。。

ふと、昔行ったことのある愛らしいハンガリーだったか・・・ドナウ川添いの町を思い出した。ドナウ川には、世界遺産の街が数多くあるけれど、そこはあまりに観光地化されてお土産物屋さんの数が多すぎて世界遺産に認定されなかったと聞いた。

 

似たようなものばかりが並ぶこの古く美しい町並みは、これからどのように成長と変化をしていくのだろう。

歴史を感じさせる町並みに、美しいプライドと美意識をもった金沢の人々の価値観に強い期待をかけてみたいと思う。

 

大人が楽しめるとすると、ひがしに対してのにし茶屋街。特に裏通りには人の気配と生活感が漂っていて、金沢っ子の美意識を感じさせます。また徒歩圏内に寺町寺院群があり、加賀百万石らしい見事な寺院が数多くあります。御朱印などを集める方には魅力的だと思います。

時間がゆっくりと流れていくのを味わい人には、にし茶屋街、おすすめです。

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