きっと将来の海外旅行に役立つから part3

外国に行くとわかる 通じても通じない言葉の意味

同じ目線で話せるか。地球人の旅術

日本がジャパンとはちょっと違う話。

 自由旅行の楽しみは、他の国の旅人たちとの出会い。そこで交わされる会話。言葉や国籍が違っても、旅という環境を背負った人々の集まる場所では、皆が異邦人である故の情報が溢れる。例えば、アメリカにいても、アメリカ人がいない場所で、多くの国籍、年代の人々がアメリカについてアメリカで話をし合うという具合。ちょっとした国際会議みたいだけれども、誰も忖度がないから、それが面白くない訳がない。そのうちそれらの国々のお国話にも話題は振れてゆく。日本が世界からどんな風にみられているか、それは、私たちが日常で知るマスコミなどとは、全く異なった知らない日本人の姿でもある。

 そんな楽しいことが町角のカフェで語られ、世界中の情報が見えてきたりもする訳です。まさに自由旅行だから味わえる経験です。旅人たちは、自分たちの体験や見た、感じたこと、まさにフレッシュな情報のやり取りをする。旅の情報は日々変わる。特にアジアの国境情報などは貴重だし、危険情報や事件・事故など、つい昨日起こった出来事とかは、このような場所での情報が生きてくる。こんなエキサイティングで面白いことは極上の海外旅行の楽しみの一つと言える。

 どんな町にも、自然と旅人たちが集まる店がある。時には、現地ツアーの休憩所であったりもする。観光地などの人気のスポットを巡れば、何度も同じ人に、あ、また会いましたね。みたいなことも起こる。人が集うという楽しさは物見遊山以上のウキウキ感があるでしょう?一期一会の感動もこうした場面で何度も味わうことが出来ます。

 最近、外電で飛び込んできたミャンマーのクーデターのニュース。コロナ禍で海外旅行者がほぼいないときとはいえ、民主化以降、多くの法人企業が進出している国、日本も例外ではありません。

 オリンピック問題も相まって、ニュースに割かれる時間も少なくなりましたが、日本でも在日のミャンマー人が外務省の前に集結するなど、社会の注目を浴びました。

 例えば、アジアを旅していて、こういうことが起きると、当然話題になります。こうなると、それぞれの国の背景、その国との関わり方で、まったく景色がちがうことに気が付きます。ミャンマー。いつだったか、たまたまこの国の話題が出たことがありました。その時、まずこの国の名前が通じないことにびっくりした記憶があります。殆どの欧州、オセアニアから旅人たちは、そこをビルマと呼んでいることに驚きました。ビルマと言うと、「ビルマの竪琴」という小説で私たちは認知していますが、それは第二次世界大戦くらいまでの話と思っていました。残念ながら私たち日本人は、第二次世界大戦時の教育を多角的に深く受けてはいないのですが、海外旅行に出ると、この第二次世界大戦という時間軸は、多くの国の人々が比喩的にお互いを理解するのに、とても都合の良いターニングポイントなんです。(多分これからは、「コロナ」が新しい時間軸になると思いますね。) 

 

 政治問題については、客観的に見ることが大切ですが、ミャンマーと言う国名を容認している国が世界では少ないという事実にぶつかりました。日本がジャパンと呼ばれるという次元とはまったく異なります。

 歴史として、数奇な運命を受けて来たミャンマーですが、世界の国では常に戦いの歴史を背景に国境や人種が動いています。過去に一度も侵略を受けた歴史を持たない日本人の方が、世界では珍しいということをマジ、実感をする瞬間です。少なくとも、日本に住んでいるとこういう感覚に陥ることはまずないでしょう。

ネーミングで思想を問われる!?

 旅先ですからね、社会や歴史の勉強をしているわけではないですけど、ビルマがイギリスの植民地から独立して、民主化の流れの中、1988年にクーデターで軍事政権になります。この時、新政権はビルマをミャンマーに変更したのです。日本はこの政権を認め、ミャンマーと表記するようにしたのですが、世界ではこのクーデターを認めない国がたくさんありました。つまり、ミャンマーを認めず、ビルマの呼称を使い続けている国は多かったということ。

 スーチー女史は民主化のシンボルとして、ノーベル平和賞も受けられましたが、ビルマ独立の父と呼ばれたスーチー女史の父親は暗殺されます。複雑なのは、スーチー女史の父親は、英雄視された軍人で、ビルマ人はイギリスによって暗殺されたと思っており、イギリスの反故で独立できなかった過去、イギリスで教育を受け、軍事政権を倒す民主化のリーダーであるスーチー女史を両手を上げて歓迎しているのでもなさそうという、日本にいてはまったくわからない構図。

 今、もし海外旅行に行けて、またどこかのアジアの国で世界からの旅行者たちと会えたら、多分この話で持ち切りになるでしょう。少なくとも、私たち日本人がニュースで見聞きする情報と全く違う切り口のミャンマーが見えてくるはずです。

 歴史は語られる国によって、解釈が変わるものですから、これがという主張は私にはありませんが、ここで言いたかったのは、私が国の名前ひとつのバックグラウンドも知らずに使っていたということなんです。海外に出ると、こういうことに気づかされると言うことなんです。それはどこを旅していても、いろいろな人に出会い、いろいろな話題になるわけですから、モノを多角的に見る、そういえば、考えたことなかったなぁに気が付く。まさに自分が豊かになっていくわけです。

 私が、ミャンマーと呼ぶのは、日本ではミャンマーだよ、に他ならないのですが、日本で教育を受けていない他国の人には、民主化を阻止してクーデーターで手にした軍事政権を支持している人、と思われたりするわけです。なるほど。では私も今日からビルマと呼びます。それも民主化への小さな抵抗になるなら。。。。と思うかどうかはそれぞれの人の考え方です。

 海外旅行をするということは、こうした日本で見聞きする外国のニュースも、見方を変えればまったく逆の見解になっていると知る。そして考える、思考の活性化につながっていくんですよね。

 時代と共に人も変化します。私が最初にヨーロッパに行ったときはまだユーロ導入前でした。その時、イタリアで日本から来たというと、多くの若者から、次は僕たちは手を組んで、一緒にドイツをやっつけよう!と言われ、なんのこっちゃと首をかしげましたが、どうもこれも第二次世界大戦の三国同盟のことを言っているのだと気が付きました。私はイタリアと聞いて、そんなイメージ持ったことなかったのに。これも教育でしょうか?彼らにとっての日本とはそういうイメージだったのでしょう。それから数年後に再訪したときには、誰もそんなこと言う人には出会いませんでした。

 これから私たちが海外に出る時、世界の意識は激変しているでしょう。どんな話題で花が咲くか楽しみです! 

その体験をどこでする?

 体験をする、簡単にいうけど。。。。まず、慣れていなければ、外国人の前で物怖じしてしまう人は結構いると思います。よほどナンパでなければ、普通の生活でも、見知らぬ人に話しかけることもないし、時として胡散臭い感じさえしますよね。留学ならともかく、旅行で見知らぬ人と話すなんて、想像がつかない人も多いかもしれません。

 次、言葉の問題。さほど多くない私の海外旅行経験でも、日本人は世界一英語を話さない民族だと思います。

 基本、海外旅行に行くと大体は英語を使います。理由は共通語として都合が良いから、ただそれだけです。しかし、日本人は本当に話さない。

 そして、喜怒哀楽があまり顔に出ない人が多い。同じ国の人たちとは、とても良くおしゃべりをしているのに、母国語を話さない人に対しては、表情も固まり、次にごまかし笑いをし、手をひらひらさせながらその場からいなくなる。part2でも書いた妖精ちゃんです。逃げ場のない所では、うつむく、キョロキョロする。さらに悪いことには(けっこう危険)イエス、イエス。と無意識に言ってしまう。

 そうよ!だから海外自由旅行なんて嫌!怖い!! ん~分かります。これ、どうしたら打破できるのでしょうか。

 まず、英語が出来ない、それがどうした!から開き直るってのはどうでしょう。だってね、英語を話さないと話せないとは全然違うんですよ。


 英語がペラペラ話せたらいいなぁとは誰でも思うでしょう。自由旅行を躊躇するのに、語学力を挙げる人はデーターにも表れています。旅の仕方は自由ですから、ガイドさんを付ける、個人でも添乗員さんを頼むこともできます。いまは、AIもすごい進歩で、自動翻訳機もかなりの正確さでお助けしてくれます。便利グッズの数々はとにかく利用してみたら良いでしょう。

習うより慣れろっていうけれど。。。。外国語。。。

 英会話の上達法としてよく耳にする言葉です。そうは言っても、日本で生活して、日常で英語を話す環境にいる人はそんなに多くもないように思います。英会話教室と言うテもありますが、実感はあまり感じませんよね。ぜひ、個人旅行で海外に出てください。あ~、こういうことかと実感できます。

 実は、私の外国語能力はかなり低いと思います。インバウンドの仕事をするには、英検2級くらいのレベルは求められるし、TOEIC900点くらいあれば、文句なしなのですが、多分私はTOEICを受けても400点くらいしか取れないかなぁと思います。

 負け惜しみではないんですけどね、個人で行く海外旅行にそんな能力はあまり意味はないかもしれないと思っているんですよね。殆どの日本人は中学校は出ているはずなので、英語が出来ないという次元ではないという自信を持ってください。アイ・ハブ・ア・ペンが出来ればOKくらいの勢いです。

 特に旅行は、日々の生活の基本、寝る、食べる、動く。この3つくらいのものです。これに付帯して、情報収集が入ってくるのですが、同じ目線で話せるかどうかは、語学力ではなく、慣れていない外国人とでも話すんだ!その気力です。

普段のアンテナで語学力は上がる!

 日々の暮らしにどれだけアンテナを張っているかどうかの違いで語学力は向上します。。私の英語力は自慢にはならないくらい低いので、当然、海外に行く度に、あ゛~!もっと英語を勉強しなければと思います。が、それ以上に思うのは、もっと自国のことを勉強しなければなんです。

 どんなに語学力が高くても、もともとの知識や考え方がはっきりしていなければ、伝えることは出来ません。「日本では」「日本ってさ」みたいな話題は、外国に行けば、とうぜんのように聞かれたりします。世界は広い。お互い様ですが、一人の日本人を知っているだけで、日本人とはそういうものだ。と考えてしまう人だってたくさんいます。私も「日本では」という主語を使うことはありますが、東京と北海道。都会と田舎では生活習慣も食事も考え方も違うし、世代によっても全く意識は違うものです。滞在地で出会う人たちが未知なる日本を捉えるのは、ニュースなどで報道される国としての情報と、たまたま身近にいる日本人とか、日本に滞在したことのある人からだけとしても何の不思議もないですよね。ですから、なんちゃって日本話。見たことのない日本料理。知らない日本人の習慣や日本語には笑いを通り越して呆れるほどに出くわします。

 小さいことで言えば、海外旅行した人のあるあるですが、「どこから来たの?」は、コンニチワと同じくらい普通の挨拶です。トウキョウと答えると、あ、知っている!友達いるよ!トウキョウのどこ?チバ?サイタマ?という会話。理由はともかくとして、千葉とか埼玉は東京である事実(?)は海外での定番です。これまた違う意味での日本人っぽさを感じる微笑ましいエピソードですけどね。

 そんなこと考えたこともなかったという質問も浴びせられます。もちろん言葉を知らなければ答えられませんが、それ以前に、答えそのものが分からないわけです。日本人なら日本のこと、知ってて当然。そうだよね。私たちだって、ドイツ人と言われたら、ドイツのこと聞くもんね。知らないと言われたら、え~!ドイツから来たのに、自分の国のこと知らないの?と単純に思ったりしちゃうし、こうだよと答えられたら、それは正しいと思っちゃうもんね。。。と思いません?

 

 国の名前だけは知っていても、どこにある国かも知らない人はたくさんいます。そもそも、日本は中国の一部と思っている人ってすごく多いですし、日本語と中国語はスペイン語とポルトガル語くらいの違いと思っている人も多いです。私も、あるお相撲さんがジョージア出身と聞いて、そこはどこ?と思った記憶があります。かつてのグルジア、あ、そう、グルジア。どこにあるか言語は何かと聞かれたらハテナ?だったりするのですから、極東のちっこい島国のことを知らなくても無理はないと言えばないですよね。

 直に人と触れ合うとはなかなかのカルチャーショックなのです。そして、出来るだけ誤解は受けたくないと思うのは人情です。外国語を習うのも大事、でもそれ以前に自分たちのことを知る。それが言葉で表現していく第一歩だと実感するのですよね。

恥はド真ん中でかくと身に付く。

 あ、そうそう、ベルギーの人に、ベルギー語って難しいですかと聞いたことがありました。ベルギー語ってないのよ。と答えられて、えらく恥をかきました。そうやって学んでいくってことです。

 旅をすると気が付くのは、滞在地のことより、自国の知識が大事ということ。そして、世界の国々の人から、「へ~、知らなかった。○○と思っていた。」の意識を学ぶことになります。

 そんなのググればいいじゃない。その通り、今や世界中の人々が会話の途中でスマホを仲間に入れているのは当たり前のようですね。OKです。悪くないと思います。それでも、ググるためのきっかけがなければですよね。

 ここで言いたいのは、その答えを素早く導くことではなく、そういえば考えたことなかった、と気づく意識を磨くのが大事だと思う話です。例えば、天皇のいる国に敬意や興味を持つ人々は多く、ロイヤルファミリーについても良く聞かれます。私はあまり興味がなかったのですが、海外旅行をするようになって、日本人の基本知識として気にするようになりました。昔、天皇の年齢を聞かれて、返事が出来なかったとき、君は自分の国の天皇の年齢も知らないのかと本当にびっくりされたこともあるし、世界で一番古い家柄というのも旅行での会話がきっかけで知ったのですね。

 またある時は、日曜日に教会に行くかと聞かれ、私はキリスト教ではないからと答えたら、宗教をきかれたので、特にない。と答えたら、神を信じない人は信用が出来ないと言われてしまいました。

 そういう宗教観とかは、語れば難しい話ですが、しごく簡単な言葉でも言うことは可能です。それは、日本が(私が)どういう宗教観を持っていて、神を感じているかというのが、自分の中で分かっていればの前提です。そういう体験から私はいろいろなことにアンテナを張るようになりました。誤解なく、美しく、簡素な言葉で自分を説明できるようになるためです。

間違いなく、言葉はセンスです。

 もう一つ、語学力より柔軟性のある知識力の大事な話をしましょう。

 世界には、実際に戦争をしていなくても非常に微妙な関係を保っている場所があります。身近なところでは台湾です。共通語として英語を使うとして、台湾の英語は何でしょうか?

 中国は、一つの中国を主張し、台湾も中国の一部としています。日本は1972年に中国との国交を正常化した際に、台湾との国交を断絶しています。実際には、台湾と日本は仲良しと言うイメージはありますが、政治的には台湾を国とは認めていません。しかし、台湾の人々は台湾という国に住む台湾人で、中国人とは思っていません。

 もし、政治的な国名、Republic of China を使えば、多くの台湾の人々はそれだけでひどく嫌悪を持つことは必至です。台湾はTaiwan、台湾の人はTaiwaneseと呼ぶべきです。しかしそこに中国人もいたらどうでしょう。そういう時の表現に気を使えるセンス、これが語学が出来る出来ないの大切なところです。これが言葉は文化と言われる所以です。

 オリンピックなどの国際的な場所では、Chinese Taipeiと苦肉の策を使った国名を使用するのは、こうした世界事情があるからです。日本人はこういうことに比較的無頓着な人が多く、どれが正しい?どれが本当?と思いがちですが、どれも本当、その場、その場で正しいを使い分けられるセンスが語学力と比例すると思います。

 世界中の多くの国が英語を母国語にはしていません。なので、つたない、カタコトの英語を共通語として使うわけです。流暢な英語を聞き取るのはとても大変ですが、一生懸命のカタコトで話す人たちの言葉は、却って分かりやすく、単語が違っていても意味は分かります。ということは、へたっぴな私の日本語も、言いたい事、わかるよと言ってもらえるわけです。それはなによりもとっても大事なことです。

 兎にも角にも、旅先では、自分の要求が伝わって、安全に、適切に目的を得ることがなによりも重要なことだから。

 

 

 私たちは少なくとも義務教育に置いて、3年間は英語を習っていますし、日本の社会の中で和製英語でもなんでも、横文字の文化は根付いています。だから、英語が出来ないということはないのです。まず、言葉が苦手、旅の足かせになるのだとしたら、言葉は単なるコミュニケーションツールの一つと考えてみたらどうでしょうか?

ほんの少し前の日本を思い出してみたら分かる。言葉なんて怖くない!

 まず、言葉が出来ないことで、旅を躊躇するなら、それはナンセンスです。なぜなら、この世は同一言語で成り立っていないからです。では、次、ちょっと前を思い出してください。日本はインバウンドに沸いていて、たくさんの外国人観光客で溢れていました。彼らは皆、日本語を話していたでしょうか?

 パッケージ旅行者もいましたが、多くの外国人たちは、個人旅行を存分に楽しんでいて、こんなところにという場所にもいましたよね。SNSを駆使して、私たち日本人でさえも知らない場所をインスタグラムにアップしていました。日本語出来ます!そういう人の「出来ます」は、「コンニチワ!」「アリガト」だけだったりするわけです。

 日本人の「英語出来ます」は、どうなのでしょうか?多分それ以上レベルだと思います。まして旅先には情景があり動きがあります。よく聞く英語の笑い話に、I am coffee があります。私はコーヒーです。あなたはコーヒーじゃありません。ってやつです。確かにそうなのですけれどね。いきなりさ、唐突に人に向かって、私はコーヒーです。なんて言わないでしょ?

 カフェとかに入って、注文する場面で言うでしょう?私たちだって、そういう時、"may I have a cup of coffee please?" 「私に一杯のコーヒーをいただけますか?」なんて言う?

 「あ、私、コーヒーね」って注文は普通。ネイティブだって、そういう時、I am coffee って普通に言うそうですよ。生活の中の英語、要はコーヒーが飲みたい、飲める。これが出来ればいいわけです。

   習うより慣れろはこういうこと、伝わるために使うツールのたった一つです。あとは、日々進化している気がするgoogle の翻訳、なかなかスグレモノです!メニューとかの読み込みには抜群の効力を発揮してくれます!

海外旅行に役立つ英語!

これだけ使えばなんとかなるさ!

次回をおたのしみに!