一般国民が外交官になる瞬間 Part 1 インドネシア

アベノマスクが届いた時、思い出したODAのお話し 1

100か国行ったとしても、ただ行っただけの思い出じゃつまらない。

 海外旅行の話をしていると、思い出せないほどいろいろな場所にいっている人に出会う。が、「行ったこと」だけ覚えていてる人も多くて、ものすごく勿体ないと思う。余計なお世話かもしれないが、せっかく外国に行くのなら、微力でも日本を背負って歩いている旅人になって、日本を伝えてみたくないですか? 同様に、外国の「そうだったんだ」も見えたらとても面白いと思います。

 特に難しいことはありません。日本にいて普通にしていることを、普通にするだけ。分からなかったら聞く、出会った人と話す。そんなことです。

日本人に大人気のバリ島。ヒンドゥーの祭り(ガルンガン)の飾りつけ。七夕のようですね。
日本人に大人気のバリ島。ヒンドゥーの祭り(ガルンガン)の飾りつけ。七夕のようですね。

 

もういらないって思っていた5月の末に、ポストに例のマスクが届いてね。すでに手にしていた友人たちは、近くの病院や保育園に寄付をした後で今更話題にもならなった。

滑稽なほど仰々しい記者会見からもう2か月近く、今や店頭にマスクは山積みだし、値段だけは以前の価格に戻らない。

生活にもマスクにも困っていない人は、いくら上手に書かれた原稿を用意してもらっても、人の心を打つ話し方は出来ないものだなと思ったりもした。

ふと、アジアを旅行した時に、ODAがよく話題になったなと思い出した。ODAは知っている言葉だったけど、大した知識がなかったし興味もなかった。が、日本人とわかるとODAの話しをする人にたびたび出会うと、それだけ日本=ODAというイメージが強いということを改めて知らされた。ありがとうと言われたり、余計なことをしてと言われたり。

国際人間というのは、海外情勢に詳しい人や語学に堪能な人ではなく、自国のことをよく理解して、正しい自分の国の姿を伝えられることだとこの時も痛感した。

自分も含め、実際に目にしないことに対しては、ステレオタイプの情報が殆どで、行って、その場に立ってあれ?って思うことは結構多い。

格差社会が叫ばれ、新型コロナの追い打ちで、人の心もささくれて、世界中がギクシャクしている。日本でもここ数年「上級国民」という揶揄的な表現に、やりきれない感情と共に生きている人が増えていることを感じる。

海外旅行で私たちは一人一人が外交官(アンバサダー)になれることを体感する。

 今は難しいが、この間に世界のニュースを見ながら、いつか、自分の国の真実を伝えられるように感性を磨いておこう。ニュースがどれだけ本当か、行ってみて知る楽しさを溜めておこう。だって、グループ旅行より個人旅行の方がソーシャルディスタンスになるだろうし、ね。 

インドネシアで突然叱られたエビの養殖

 バリ島に代表されるインドネシアは、人懐っこい優しい人々と、民族色豊かな多くの島から成り立つ国で、自由旅行しやすい国のひとつ。東インド諸島の中心で、マレーシアやシンガポールにも比較的安易に足を延ばせるので、安価な予算で短期、長期のバラエティに富んだ旅が出来るところです。

           インドネシア世界遺産ボルブドゥール寺院遺跡群
           インドネシア世界遺産ボルブドゥール寺院遺跡群

  あまりに昔のことで記憶が曖昧なのですが、世界遺産のボルブドゥールへ移動中のバスの中、隣に座ったおばさんから、定番のごあいさつ、「どこから来たの?」。「日本です。」「オー、ジャパニーズ。」人懐っこいマレー人の笑顔がチャーミングな人だった。

 当時はもうバブルがはじけていたのですが、日本人裕福伝説は定着していて、安旅していると、お金あるくせにと思われて、なかなか不自由なこともあったのですね。この時も、そんな話になって、日本は金持ちかもしれないけど、日本人が皆豊かであるとは限りませんよ、みたいな話をしていました。

 しかし、そもそも安旅だろうがなんだろうが、海外旅行出来ること自体が裕福と考える国もあるわけで、この次元での金持ち、貧乏のお話しは不毛でもあったわけです。

 世界を旅すると、考えたこともなかった当たり前のことが、とても恵まれたことだと実感することがあります。

 基本、日に3食を食べられる国など世界中を見ればそう多くはないということも私は旅で実感として知りました。ダイエットではありませんよ。生活の根源の話です。

 

ブラックタイガーおばさんの嘆き

 窓の外は見渡す限りの水田が広がって、海岸線では黙々とマングローブの植林が行われていた。

 突然、日本人はまったく余計なことばかりしてくれる。とおばさんは言いました。ちょっとキョトン。文句言われたわけです。日本人は何をしたの?その説明はこうです。

 日本人はエビが好きだろう。エビを育てると、お金になると言って、みんな豊かになるためにエビを養殖を始めたんだ。日本からお金をもらって、マングローブの木を切って、エビの養殖場を作った。エビの育て方も教わって、いっぱい、いっぱい育てた。エビがいっぱい取れたら、値段が暴落した。誰も儲からなくなった。そしたら、養殖場から日本人はいなくなった。

 マングローブの木がなくなったから、その周辺の田んぼは塩害によって、お米が取れなくなった。農民の生活も立ち行かなくなった。ODAだという。「日本人はいっぱいお金を払って、マングローブを切った。そして、またいっぱいお金を払って、今、マングローブを植えているよ。バカな話だ。日本人、バカね、まったく余計なことばかりしている。」

 たったひとりのおばさんの言葉がすべてではないし、政府と国民感情は常にイコールではないことも世界共通だ。海外の出来事が、正確なニュースになって世界に配信されるとも限らない。日本のODAがインドネシアのエビの養殖を支援したとしても、それはマングローブを切ることを支援したのではないだろう。もちろん、結果はそうであっても。

 当時、日本に輸入されるブラックタイガーはインドネシアが主要国だったのは、ニュースで聞いていたし、多くのNPO始め、日本人たちがエビ養殖を推進していたことも度々話題になって知っていた。

 塩害になった田園を救うためにODAや多くの日本企業も植林プロジェクトに参加している記事も読んだことがあった。私は、日本のニュースで知る限りの情報で、エビも安くなるし、ウィンウィンのよい事業としてやっているという漠然と感覚でいたので、旅の途中で出会ったおばさんに、日本人は、金にものを言わせて余計なことをしてると言われたことにどう返してよいか分からなかった。そもそも、ODAがエビの養殖の手助けをしていたのかも不明だった。ODAの仕組みや活動を知っていたら、もうちょっと建設的な話もできたのかもしれない。旅先のちょっとした会話にも、私は自国の知識や意見があまりにも少ない自分自身に対してショックだった。ODAは私たちの税金である、何も上から目線でいるわけではなかったが、ありがとうといわれることはあっても、「余計な事を!」と面と向かって言われるとは想像してはいなかった。

 これでは、今回のアベノマスクの経緯と同じ目線ですよね。

日本人のくせに知らない日本のこと

 海外で出会う人々の日本のイメージは、その国のニュースや生活の中で見聞きする程度の知識なのは当然。なので、短期の観光旅行であっても、日本人はそんな風に思われていたんだと感じるシーンにはたくさん出会う。新聞やニュース(今はSNS?)で日本はそうなんだと伝われば、目の前に現れた日本人はそうなんだと思うのは、自然の流れだと思う。根本の価値観が違えば、理解の仕方も全く違っていて、全く悪気のない誤解が生じていたりする。

 極端な例だが、あるヨーロッパの男性の友人が、日本に初めて来たとき、日本人がいなくてびっくりしたと言っていて、どういう意味と聞いたら、日本の女の子は誰もが前髪パッツンの黒髪のおかっぱで、細い釣り目だと思っていたんだって。今どき?って思うけど、極東の島国についての知識なんてそんなものかもしれない。

 昔話になってしまうけど、最初の海外旅行、インドに行ったとき、ターバン巻いていない人がけっこういてびっくりしたものね。私もインド人はみんなターバン巻いて、アラビアンナイトみたいな恰好をしていると思ってたんだよね。

 日本は中国の一部と思っている人にも、旅に出ると頻繁に出会う。そんなぁって思うかもしれないが、私だって、ベルギーの人に、ベルギー語って難しいのですか?と聞いて顰蹙を買ったことがある。でっかい中国大陸にくっついた大豆みたいなものが日本だって地図を何度も目にすると、何ら不思議はないのです。日韓共同開催だった2002年のサッカーワールドカップの際に、取材で来た欧州の人々が、橋で繋がっていると思っていたり、そもそも別の国と思っていなかった人だってたくさんいてびっくりしたものです。そんな程度なんです。

 ただ、どこの国に行っても、自分の国の歴史や、民族のこと、政治や社会の仕組みについてはっきりとした意見を持っている人に多く出会い、嘘か本当かわからないけれど、きちんと説明をする。これにはいつも感心して、君の国ではどうだと聞かれて毎度、毎度、本当に困ってしまうのです。日本語しか得意ではないからではなく、あまりに日本の基本情報さえ知らないことに、自分が情けなくなって反省させられるのです。

 

 これが、旅をするということは、一人一人が小さなアンバサダーだなっていつも感じることの一つ。自分の国のこと、やはり正しく知って欲しいと思う。旅は見に行くだけでなく、魅せに行くという要素もあると痛感します。滞在先で日本人に興味を持つ人々はとても多いし、とても面白い角度から見ていることも多いのです。

月の都で考える

次は月の都ラオスでのODAのお話しです。

いつか、自由に空を飛ぶ日を夢見て