早起きはミラクルだった!サンフランシスコ

                 Stay home!

今こそいつかの旅行ための準備に時間を活用しよう!

 世の中がリモートワークになり、お家にいることで溜まるストレス。自由の良さが良く分かりますよね。「背中に羽の生えるセミナー」の中でも大事にしているトピックなのですが、自由と身勝手の違いをはき違えないようにってこと。

 今こそ実感できる気がしています。身勝手な解釈で外に出ないように。自由になったときに、クオリティの高い自分旅が出来るように、行きたい場所の歴史を調べたり、プランニングのための情報を集めることに時間を使ってみるのもいいと思いませんか?

 というわけで、彼方の旅の記憶を紐解いてみることにしました!

ゴールデンゲートブリッジ

 

アメリカ合衆国、西海岸の美しい港町、サンフランシスコは、世界中の人々を魅了し続けている、ただ歩くだけでも楽しい場所。

いつだったか、アメリカ人に「アメリカに来たことがあるか?」と聞かれ、「サンフランシスコが好き!」と答えたら、「サンフランシスコを嫌いという人なんてこの世にいないよ!」と即座に返された。

 

そう、誰にも愛される街。それが花と霧の都、坂道の続く街、

 

サンフランシスコ

 

美しい港町。感動的な景色を演出するのに坂道はとても効果的な素材。ヴィクトリア様式の建物、地元の人々の足でもあるケーブルカー、朝霧の景色、歩いても渡れる赤が印象的なゴールデンゲートブリッジ。対岸はのどかで美しいヨットハーバーのあるサウサリートの町へと続いていく。

 

サンフランシスコの霧で有名な町。朝早く、町から出る市バスに乗って、ゴールデンゲートブリッジに出かけよう!絵葉書のような霧に包まれた橋が現れる。霧の中、歩いて渡るもよし、みるみる姿を現す景観を眺めるのもいい。ゆったりとした時間を楽しめる自由旅ならではのひと時だ。

映画のワンシーンのような景色は歩くだけで遭遇する

映画のワンシーンのよう。ゆったり歩くグランパの横でスキップ!
映画のワンシーンのよう。ゆったり歩くグランパの横でスキップ!

 

 観光名所である、くねくね曲がったロンバート通りは紫陽花に縁どられ、ゆっくり下る車より、早く駆け降りることができる。

 港へ下りれば、名物のクラムチャウダーを供するレストランとしゃれたショッピングエリアが軒を並べる。フィッシャーマンズワーフには楽し気にくつろぐ観光客でいっぱい。

 

 カーメルやモントレーという美しい海岸線の町にもアクセスはバツグン!そこに行けば、野生のラッコにも出会える!半日や1日現地発着ツアーも多く、見どころは満載。 

 

そして、何よりも気持ちが良いのが、たおやかで自由な気風。かなり前に旅した時からレインボーフラッグを掲げる窓辺がちらほらと目につき、鮮やかな景色として色を添えていた。当初その旗の意味を知らなかった私は何だろうと思ったが、尋ねても言葉を濁す人が多く、自分の英語力と思ってたのだが、そういうわけではなかったようですね。帰国してから知りました。時代も変わり、今なら、抵抗なくLGBTの人々だよと教えてくれたでしょうに。当時はアバンギャルドと言われていたような記憶があります。

 

さて、観光客を喜ばせるには、申し分ない美しいウェストコーストの町に、観光客が殆ど目にしない不思議な景色に私は出くわしたのでした。

 

 

フォーチュンクッキーは日本人が始めた!

そこはチャイナタウンのすぐ近く、何の変哲もない通り。ほとんどがシャッターを閉めていて、サンフランシスコ発祥と言われるフォーチュンクッキーの工場兼卸さん風の商店が開いているくらいの一見寂れた通りです。なので、観光客も歩かないし、にぎやかでもなんでもない。昼間の人通りはあまりなく、それが、私が迷いに迷って、夢でも見たかと何度も首をかしげた原因でもありました。

おみくじの入ったクッキー

 ちなみにフォーチュンクッキーって餃子みたいな形の二つ折りにした焼き菓子の中におみくじの入ったもの。今は日本の中華街でも見られるようになったけれど、もともとはサンフランシスコの名産品。

 しかも、それを始めたのは、日本人だったと言うこと。確かにクッキーといってもその生地は、陽のんの瓦せんべいと同じ素朴な駄菓子のあれです。AKB48の歌詞に出てくるのも、これかと思うのですけど。。。

 当時、お土産には最適と思って、が、嵩張るし割れやすい。紙の手提げに入れて機内荷物にして持って帰って来ました。割ると中から、一言格言みたいな文がプリントされたおみくじが出てきます。

でもね、英語だったから、さほど喜ばれなくて・・・・あんなに頑張って気を付けて持って帰ったのに。。。。

サンフランシスコはモーテルがオススメ!

 サンフランシスコのダウンタウンには便利で手頃なB&Bがたくさんあります。一見ホテルには見えないようなごく普通のアパートメント。モーテルのちいさな看板でやっと見つけることができるくらい。繁華街に近いとは思えないほど静かな宿が見つかります。気軽な一人旅や自由旅なら、こうした宿は値段も安いし、便利です。なんしろ、直ぐ外に飛び出して行けますからね!

 

時差の関係か、それなりに緊張しているのか、早起きは三文の得とばかりに早くに目が覚める。旅の幸せは朝、天気の良いこと。しかし、サンフランシスコは、毎朝白い景色の中で目覚める。霧の町と呼ばれる典型的な天気で、夏でも朝夕は冷え込み、部屋のドアを開けると、冷えた白い霧が生き物のように流れ込んでくる。今日は曇りなのかなと思っていると、突然朝日が射し、雲一つない青空に変わる。

たったこれだけのことだけど、十分外国にいる気になる。

 

むむ、赤やピンクのドーナツが山積みの朝って・・・

ロケーションのよい、朝食付きのB&Bモーテルを見つけた私は、翌日からちょっぴりショックを受ける。

そこの朝食とは、小さなロビーの長テーブルが即席のダイナーテーブルで、朝早く、フロントのお兄ちゃんが、どこからともなく、大きなトレーに山と積まれた色とりどりのドーナツとコーヒーマシン、どでかい紙コップ、硬くて小さなリンゴを並べ始める。

ふむ、アメリカ人の朝食とは、ドーナツ??これは、おやつだろうよ!悲しいかな、私はドーナツを朝食と認識できない。しかも、色とりどりのシュガーコーティングやクリームでぱんぱんに膨れたものなど、どうしたものか。

ロビーのぽよんとしたお腹のお兄ちゃんは、「好きなだけ持っていきな!」と陽気だ。そこにまた、でっかいおじさんがやってきて、大きな声でgood morning! トレーを手にすると、それこそ山盛りにドーナツを積み上げて、家族の為か、コーヒーも大きなペーパーカップに4つ載せてニコニコ顔で出て行った。

朝食はダメだ。バックパッカーの身としては、かなり損した気分でコーヒーとリンゴを1個もらって部屋に戻った。私の部屋は、道路から入って最初のフロントがあるメイン建物のすぐ裏手。アパートのような2階建ての棟。外階段を上がってすぐの角部屋で、階段の踊り場から朝日が気持ちよくあたる。私は、ドアを目いっぱい開けて、朝日を取り入れると、椅子をドア外に引っ張り出して、朝日を浴びながらコーヒーを飲んだ。いくつかの棟が奥にまだあるようで、すでに出発する車の砂利を踏むタイヤの音が何度も行きかう。

繁華街に近いのに、静かな住宅街の一角で、道路に面した入り口もさほど広くないので、落ち着きと安心感があり、自分のコテージのようにリラックスした時間を楽しめた。

 朝食を諦めると、ロビーにドーナツが並ぶのを待つ必要もない。白い時間からさまよう。これが、自由旅の醍醐味。見知らぬ人々で息づく町は、色も香りも動きもすべてが楽しい。路地は特にドキドキで興奮する。映画の世界に入り込んだような、フィクションのようなノンフィクションワード。

 

 で、自分は間違いなく異邦人。感覚が変わると、視覚も変わる。エフェクト効果は自分の中で起こる。

夢か幻?アメリカからワープした!

ドラゴンゲート サンフランシスコのチャイナタウンの入り口

 

 サンフランシスコのチャイナタウンは、全米一の規模をほこるが、朝早くはさすがに人気がない。大きなお店は観光客御用達なのか、店の前の大きな写真パネルの下には、中国語と英語と、なんと日本語でもメニューが書いてある。書いてはあるけど、かなり不思議な日本語だったりする。漢字はある程度は読めるから、これならわざわざ日本語いらないかも。例えば酸辣湯(スーラータン)日本語表記は「酸っぱから汁」。

 ね、必要ないでしょって。突っ込みどころ満載!看板メニューだけでもかなり楽しめる。ぶつぶつ言いながら、一人で笑いながら、ふらふらと誰も歩いていないレストラン並ぶ通りから一本離れると、早朝にかかわらず、突然景色が変わった。

 えっ!ページをめくったように、誰もいない通りから、突然黒山の人だかりと、大声の響く通りへ。急な坂道のそこは、もう中国の市場そのもの。人々の喧騒。通り沿いのどの店舗も大勢の人で溢れている。

 生きたナマズから、名前も分からない大きな魚がいけすでばちゃばちゃ。肉の塊。野菜や、漢方薬や調味料屋さん。ここはアメリカ?サンフランシスコ???

広い坂道の両側に並んだ店ではあるが、雰囲気としては、間違いなくアジアの市場。お店の中には、漢字で書かれた品目だろうか、商品名か、たくさんの紙が垂れ下がり、そこに英語表記はみじんもない。私には見慣れた縦書きの紙だ。この激しい会話からすると広東語かな。。。

まあ、とにかくすごい!アメリカに来てこのアジア感は強烈!しかも観光客はゼロ、それどころか、中国系の人々以外もほぼ歩いていない。日本人でよかった。理由?単純に容姿が景色に溶け込んで目立たないということ。いくら治安が悪くないといっても、見知らず土地のほぼ男性の地元の労働者でごった返した場所で、明らかに外国人の居住者でなさそうな女が一人でフラフラしているのは、間違いなく目立つし、胡散臭い。それにこのグロテスクな魚たちが店先で捌かれたり、刻々と生の肉塊が細かくされていく光景を、平気な顔で見てられない観光客(私は平気だけど)ならなおさら。アジア人の方がまだ景色に溶け込んで、少しは安全な気がする。

皆真剣、喧嘩しているようなやりとりで値段交渉(多分)をしているし、現に、「これなあに?」とへんな魚を指挿したら、即座に店員がそれをロー引き袋に入れようしたので、ノーノーと店を飛び出した。冷やかしはダメでしたね。お仕事の邪魔をしてしまって、かなり反省。(しかし、あんなナマズとかの生きている魚をどこから仕入れているのか、好奇心は収まらない!)あー、いろいろと聞きたいことがあるのに!

マックより安いおかず3品付き定食屋さん

そんな坂の途中の狭い路地の一角からちょろちょろと人の出入りがあった。覗いてみると、路地奥に、おっ!定食屋!近づくと、店先のガラスケースの中にも上にも、いろいろな料理が並んでいる。薄暗い店内に目を凝らすと、奥には無造作に並んだテーブルと、ところどころ破けたビニルが貼られた丸椅子が自在に散らばっている。今はすっかり見なくなったアルマイトの3つに分かれたお皿に数種のおかずとご飯とスープ。へえ。値段を聞いたらそれは百数十円の世界。嘘!全部で?気が付いた。私も決して英語が得意ではないが、この界隈にいる人たちは、全く英語を話さない。私の英語が通じないのではなく、彼らが英語を話さないのだ。

 

面白そうだし、断然ご飯党の私は、マックの朝食より魅力的だったので、勇気を振り絞って、作り笑顔と共にお店に入っていった。労働者の兄さんたちが席を詰めて、私のためにスペースを用意してくれた。お店の人は身振り手振りで料理を選べと言っている。3種類選べるみたい。きくらげ入りのいり卵と魚のフライ、八宝菜みたいなのを選ぶと、アルマイトのお盆に給食のようなセットが運ばれて来た。ペタッと押しつけたように盛られたご飯(日本人は世界で一番ご飯を美しく盛る美学を持っていると思う)、お盆にはこぼれたのを気にしない、玉ねぎの薄切りが入ったスープ、そして、3種のおかず。これで200円でおつりがくるんだ。マジか!食べ始めると、周りの人たちが、この言葉の通じない絶対地元民ではない変なアジア人に好奇の目を向けているのが分かった。気にしないふりをしているのに、すごーく気にしている、そっぽを向いているのに、視線を感じる。けっこう食べづらい、つい目が合ってしまうので、笑ってみせる。と、慌てて気が付かないふりをして顔を背ける。ふんふん、よそ者だな、私は。

私の斜め後ろに、このレストランには似つかない、でも絶対常連さんだとわかる上品な老婦人がいた。その人には、市場の労働者たちがあいさつし、話しかける。今日の話題はどうも私のようだ。

すると、この洒落た老婦人は、とてもさりげなく話しかけてきた。

「あなた、どこから来たの?」

「あ、日本人です。」

「観光客?」

「そうです。」

「こんなところに来る観光客は初めてよ、あなた勇気があるわね。」

「ええ、でも賑わっているし、とても安かったので。」

「そう、ここはとても安いわ。でも、観光客が入りやすい雰囲気ではないわね。「」

「確かに。でも、店員さんは普通に中に入れてくれたし。でも、ここにいる人は英語を話さないのですね。」

「そうよ、誰も話さないわ。」

「へえ、移民なのですか?」

「みんなここで生まれて、ずっと住んでいるわ。でも必要がないのよ。」

「どうしてあなたは話せるの?」

それには華奢で優雅な笑顔だけで、答えがなかった。

 中国訛りで決して流暢な英語ではなかったが、私の英語力ではありがたかった。答えなかった中に、彼女の人生がいっぱい詰まっているような気がした。ゆっくりとやさしい笑顔で話す老女の言葉は、私を面白がっているようでもあり、場違いな旅人に対して、とても好意的な雰囲気を放っていた。

 「ごきげんよう、さようなら。」

 「お話ししてくれてどうもありがとう。」

 

薄暗い店内から外に出ると、陽はたっぷりと高くなっていて、そのまぶしさに一瞬景色を失った。透き通るような青空には雲ひとつなかった。気のせいか、通りの喧騒も収まっているように思えた。 

何故か見つからなかった景色は・・・

 この朝の体験は意識なく歩いて遭遇したせいか、とても強烈だったので、その後も観光の途中に意識してその界隈を何度も通ったのだが、どうしても見つけるころができなかった。まるで狐につままれたように、あの躍動的な景色は不思議なくらい出会えなかった。

おかしいな、確かにこの辺りだったのに、記憶はまだ新鮮だったのに、夢でもみたか?と首をかしげるばかり。チャイナレストランはある。そこから一つ違いの道・・・でも、そこにあるのは、ごくありふれた特に何の変哲もない通り。。。。

 

今日、サンフランを離れるという朝、最後のチャンスともう一度あの妖しい景色を求めてチャイナタウンへ。

 すると、ありました。あの景色!わかった!この通りは朝だけ営業しているところ、まさに市場なのでした。9時を回ると、殆どの店がシャッターを下ろし始めて、10時を過ぎると歩く人もまばらなシャッター街に、残るは1~2軒のフォーチュンクッキー屋さんだけになってしまったのでした。夢ではなかった。数時間でまったく違う景色に変わってしまっていただけだった。  

早起きは三文の得。ここ美しき港町に、何世代も前から移り住むチャイナパワーは、わずかな朝の白い時間だけ強烈なエネルギーを発散させていたのでした。

ストックトンストリート。

いつかまたここに来た時に、このコントラストはまだ健在なのか?

 

 

旅の思い出は、色褪せないアルバム

あれから長い月日が経った。もうあの老婦人はすでにあの店の定席に座っていないだろう。旅の思い出は、少しずつ脚色される。だからもし、幻だったとしても驚きはしない。もしかしたら、今ではにぎやかなお土産屋さんやコンビニエンスストアも並ぶ、全く違う通りに変わってしまっているかもしれない。

でも、見知らぬ国の見知らぬ場所で出会った人々、その時間、身体全体で感じた景色や感情は、私のその後の人生に少なからず影響を与えてくれている。旅とは、だから美しい栄養だと思う。

言葉も習慣も歴史も違う場所にいけば、少なからず驚きがあるし、違和感もある。それを好き嫌いだけで処理することもできるが、それを「在る」こととして受け入れるだけで、モノの見方がどんどん広がって行く。

旅が人生を豊かにするというのは、絶対本当で、体感する全てが、当たり前からの脱却で、ものをいろいろな方向から見ることを余儀なくされる。自分の幅を広げてくれる。小さなことに悩むことが少なくなる。価値の存在に気づかせてくれる。これは残念ながら、バーチャルでは出来ない。

 

今、世界はコロナウィルスと戦っている。しかし、この病気は人の心の戦いにもなってきている。

 アメリカのみならず人種や職業差別的な話は否応なく耳に入る。このサンフランシスコのチャイナタウンは、はるか昔からそんな歴史と戦ってきている。

 いつかこの戦いに身も心も打ち勝って、また旅人になるまでの時間、この美しい港町の歴史も知るいい機会になればと思う。

スペインからの入植、メキシコだった過去、ゴールドラッシュ、そして、近年の移民問題。旅人にはもちろん把握しきれない社会問題は存在するが、それは、どこの土地にでも共有のものだ。

ただ、何も知らない物見遊山と、少しでも知識があればとの差は、同じ景色をみても、必ず違う。もし、旅先で誰かと言葉を交わすときに、きっと思い出はより深いものになると思う。

 

しばらくはStay home

ゆっくりとガイドブックを読んでみよう。心はきっと豊かになれる。

 

次回もお楽しみに!